■北欧・ロシア・エストニアの旅日記■
2002年7月23〜25日 エストニア編U


 7月23日(日) タリン〜クレッサーレ

 朝、スーパーで買ってきたパンを食べると、
 酸っぱくてぼそぼそしていて2口で断念。
 小麦粉の種類のせいなんだろうか・・・
 見た目は普通の黒パンだったのにぃ。

 歩いてバスターミナルへ行き、サーレマ島の
 Kuressaare(クレッサーレ)行きのバスに乗車。
 子供たちが新聞販売をしていて、ちょっとビックリ。
 夏休みのアルバイトみたいなものなのかも・・・。
 バスはタリン市内を抜け、草原の中の一本道へ。
 この程度なら自分でドライブできそうだなあ。
 そういえば、タリンに来てからはお天気がいい。
 少し開いた窓から入ってくる風がなんとも気持ちよくて、眠りに誘われてしまいます。

 途中、サーレマ島へ渡るためバルト海を航行するフェリーに。
 海も空も透き通るような青さでとても綺麗だったのが印象に残っています。
 乗船時間は40分程度だったので期待していなかったのですが、けっこう立派な船で、
 カフェテリアもあったのでお昼ご飯にサンドイッチのようなものを食べました。
 ストックホルム〜トゥルク間もそうだったけど、内海なのでほとんど揺れもなく快適な船旅に。
 島に到着したらまたバスで一本道を延々と走り、島の中心都市クレッサーレに到着。
 タリンのバスターミナルを出発してから、4時間30分程度の移動となりました。

 バスターミナルを出て、勘を頼りに歩いていたら街の中心部に到着。
 ガイドブックにも載っていて、昨日都庁さんも勧めてくれたホステルへ行ってみたら、なんと満室。
 観光案内所に駆け込んでツーリストホームを紹介してもらうことにしました。
 今日は日曜日、案内所は14:00でクローズしてしまうのですがギリギリ間に合って良かったあ。
 しばらくしたら、お家の人がお迎えに来てくれて、アパートのような所に案内されました。
 彼は英語はほぼ問題なく、挨拶程度とは言え日本語を話したのでビックリ。
 年間10人もないくらいだけど、日本人をゲストに迎えることがあるらしく覚えたとのこと。
 もしかしたら・・・昨年、やまし君もこのヒトにお世話になったのかなあ。
 ツーリストホームというからお家の一室を間借りする感じなのかなと思ったら、
 アパートのを1室をまるまる使っていいとのこと。お家のヒトは別のところに住んでいるらしい。

 今日はもう観光をする気がしなかったので、クレッサーレの街を散策することに。
 と言っても、小さな街なのであっという間に終了。
 スーパーマーケットで食材を買い込み、久しぶりに自炊をすることにしました。
 エストニアの離島だから日本の価値観が通用するとは思ってはいなかったけど、
 スーパーの食品売場にも大きなハエが飛び交っていて、衛生状態はどうなっているのという感じ。
 ん、でもまあお腹壊さなかったからいいことにしよう。
 とにかく、サーレマ島のハエは大きくて五月蝿くてパワフル。

                                                 (写真:バルト海)




 7月24日(月) クレッサーレ

 朝の散歩に出かけてアパートに戻ってみると、
 私宛のメッセージが置いてありました。
 今日はこのアパートではなく、自宅へどうぞと。
 しばらくして、昨日の男性がクルマで迎えに
 来てくれました。彼の名はUlo(ウロ)、
 年は60前後といったところかな。
 すでにリタイアしていて、奥さんが働いているよう。
 専業主夫といったところかしら。

 街のちょっと外れにある自宅へ到着すると、
 ペットの犬に猛烈に吠えられてしまった。
 怪しい東洋人と思われて警戒されちゃったのかな!?
 まだ、新しいお家で以前は息子さんが使っていたと思われる部屋に案内されました。
 午前中のうちに観光した方がいいと言われたので、歩いてクレッサーレ城へ。
 こんな離島にあるのに、けっこう歴史があって14世紀後半に建てられたものらしい。
 あまり期待していなかったのだけど、けっこう保存状態も良かった。
 お城の最上階はカフェになっていて、クレッサーレの街を眺めながら優雅にお茶。

 お城を出てからは人工の砂浜を裸足で歩いてみたりした。
 地元の子供達がサッカーしていて、波もとても穏やかでのんびりした雰囲気。
 この街に来てから時間の流れがとてもゆっくりに感じる。
 空を流れていく雲をただ眺めるなんて、しばらくそんなことしていなかった。
 子供の頃はよく授業中、話も聞かずにぼーっと空を眺めていたりしたものだった。
 何かに取り憑かれたように、時間に追われて過ごしている日本における私。
 そういう存在を虚しく感じるとともに、そこに帰らなければならない自分が少しだけ悲しかった。
 せめて海外にいる今、私がとっくの昔に失ってしまった時間を取り戻せたら・・・と思う。

 お家に戻ってからはUloと色々な身の上話をしたり、テレビを見たりして過ごした。
 19歳になる息子さんはフィンランドの大学に留学中で、時々ガールフレンドと共に帰国すること。
 リビングにはほとんど出てこないけど、奥さんのお父さんも同居中だということ。
 ロシアの頃の話は、合唱団の一員として夫妻でヨーロッパ各国をツアーしたことなど。
 写真を見せて貰ったら、イタリアやオーストリアなどへ行ったらしい。
 Uloは日本の富士山をすごく綺麗で大好きだと。
 自分は日本に行くことはないだろうけど・・・とも付け加えたのが、ちょっと寂しげだった。
 25歳の小娘は日本の経済力を背景に、バルト海の島まで来てしまっているのに・・・。

 夜になると仕事に行っていた奥さんが帰宅して、夜ご飯をご馳走になりながらまた色々な話を。
 このツーリストホームには年間5〜6人程度の日本人がやって来るとのこと。
 とくにここ数年は増加中だと言う。
 昨年、私の友人がここサーレマ島を訪れたことを告げると、ゲストブックを見せてくれました。
 最初のうちはアメリカやヨーロッパからのお客さんが多かったけど、日本人もそれなりに。
 その中に・・・やっぱりというか、やまし君の名前を見つけました。
 と同時にちょこっと彼の秘密を知ってしまって、ちょっと申し訳ない気分も。

 さっきまでゆっくり流れていた時間は、楽しい団らんになった途端、あっという間に過ぎたのでした。

                                              (写真:クレッサーレ城)





 7月25日(火) クレッサーレ〜タリン〜

 夜中、部屋にハエが侵入してきて騒音に悩まされて
 いまいち寝不足のまま朝を迎える。
 昨晩20時過ぎに帰宅した奥さんは、朝は8:00近くに出勤。
 どういう仕事しているんだろう・・・聞きそびれちゃった。
 私は1人で朝食をとった後、荷物をまとめる。
 中途半端な食材があったので、あげてしまうことに。
 色々とお世話になったので。

 バスの時間が刻々と近づいてくる。
 最後はUloがバスターミナルまでクルマで送ってくれた。
 今日のクレッサーレはちょっと小雨が降っている。
 私もいざお別れとなったら、自然と涙が溢れてきた。
 たった1日だけど、過ごした時間が濃密だったんだと思う。
 Uloは「今度はお友達と一緒にいらっしゃい」と言ってくれた。
 また、いつか来られるといいな・・・いや、絶対に行こう!!

 何となく訪れたサーレマ島だったけど、
 すごく色々なことを考えることができたし、素晴らしい出逢いにも恵まれた。
 が、この地を去りがたく思う私の心とは裏腹に、バスはどんどん島を離れタリンへ向かって行く。
 もっとも感慨に耽る自分がいる一方で、ロシア行きのことも考え始めていた。
 そう、今日はロシアビザを引き取り、夜行列車で憧れのサンクトペテルブルグに発つのです。

 バスは14:00近くにタリンのバスターミナルに到着。
 駅には荷物預けがないので、ここでキャリーケースを預けることに。
 なんと重量が15kg近くになっていてビックリ。いつの間に荷物が増えたのやら。
 身軽になったら歩いてエストニアYH協会へ。
 お部屋に入ると係りの女性が「待ってました」とばかりにロシアビザが目の前に。
 彼女はとても親切で、ロシアにおける外国人登録を行うオフィスを教えてくれ、
 また場所がわからない・・・という私のためにマークした地図まで用意してくれました。

 ロシア行きの準備はすっかり整ったけど、夜行列車の出発は23:00近く。
 時間はまだまだたっぷりあるので、今日もタリン旧市街の散策に行くことに。
 先日、気になっていたお土産屋さんに行って、琥珀のアクセサリも購入したり。
 けっこうのんびり歩いていたつもりなのに、なかなか時間は経過してくれない。
 前に3日も滞在した街だから、もう隅々まで歩き回ってしまって特に行くところもない。
 こういう時、ネットカフェで過ごせればいいのだけど残りのエストニア通過はあと僅か。
 仕方ないので旧市街にあるベンチでぼーっと道行く人たちを眺めていました。

 さすがに日が暮れると、1人で旧市街をふらふらしているのは怖いと思ったのに、
 バスターミナルへ荷物を引き取りった後、タリン駅まで歩いてしまいました。
 結局、駅のベンチで2時間近くサンクトペテルブルグ行きの列車を待っていたのですが、
 その間に同じベンチにいたお婆さん2人が大喧嘩をしたりして、ちょっと怖かった。
 何を言っているのかわからなかったのだけど、何となく原因が私のような気も・・・。
 隣にいたお婆さんが私に物乞いのようなものをしかけたのを、注意したお婆さん。
 そんな感じだった。すごく居心地が悪く、また気が遠くなるような待ち時間。

 22:30くらいになって、やっと列車に乗り込むことができた。
 4人用の簡易寝台で、同じ部屋にはスイス人の男女。とても気さくな人たちだ。
 発車後すぐ、寝具代として車掌さんが10EKKを徴収しに来た。
 残り少ないコインを集めたら、何とか足りたので良かった。

                                     (写真:タリン旧市街の不思議な建築)


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